“市販ホットケーキミックスに豆腐一丁バーーーーーーン!!と投入してウオオォオオオオォオオとかき混ぜてジュンジュワァアァアアァアと油で揚げて、きな粉をファサァアアァアアアアとかけたら、驚く程モッチモッチで旨い謎の揚げ物出来上がるから皆やってみてくれよな!卵も牛乳も要らないから!!”
— Twitter / 9652ai: 市販ホットケーキミックスに豆腐一丁バーーーーーーン! … (via raitu)
“市販ホットケーキミックスに豆腐一丁バーーーーーーン!!と投入してウオオォオオオオォオオとかき混ぜてジュンジュワァアァアアァアと油で揚げて、きな粉をファサァアアァアアアアとかけたら、驚く程モッチモッチで旨い謎の揚げ物出来上がるから皆やってみてくれよな!卵も牛乳も要らないから!!”
— Twitter / 9652ai: 市販ホットケーキミックスに豆腐一丁バーーーーーーン! … (via raitu)
“私が高校のとき、私は数学だけは成績が良かった。だから数学の授業で教師の話は全く聞かずに「大学への数学」をやったり、「数学セミナー」を読んだり、院試の数学の問題を解いたりして暇を潰していた。定期試験ではいつも授業の範囲を無視して解答していた。それゆえ、正解なのにバツをされて答案が返ってくることが多々あった。採点した教師が私の解答を理解できないからだ。 バツが不当だからと私は数学の教師のもとに抗議に行くわけだが、その教師はたいてい私の話を理解できず(その教師はFラン大学の出身だった)、仕方ないので私は数学の学年主任(その人は京大の数学科出身だった)のところに持って行って、その人に私の答案を採点した数学の教師を説得してもらうのが常だった。 しかし、あるとき、私はいちいち抗議に行くのが面倒くさくなって、抗議に行くのをやめてしまった。どうせテストの点数が95点でも100点でも成績が5段階評価の5であることには違いないし、まして、この数学の担任に採点の間違いを認めされたところでそれは自分にとっては何の益もないことだからだ。 いや、嘘だ。その話は正確ではない。もう少し正確に言うなら、「この担任が理解できようが理解できまいが、数学的に見て正しいものは正しい」と私はある日、気づいたからだ。その担任の鼻を明かし、私自身の矮小なる自尊心を満たしたところで仕方がないのだと気づいたからだ。 そのことに気づけたことは、私にとってまさに僥倖であった。ああ、それこそが数学なのだと思った。数学的な“正しさ”が、個人の感覚や判断などに依拠してはならない。論理的に正しいものは正しいものとして存在しなくてはならない。誰かに理解されようが理解されまいが、正しいものは正しい。そして、自分は正しいものだけをしゃにむに追求していけばいい。それこそが学問なのだ。 何故、私はそのことに気づけたのだろうか? それはたぶん「ペアノの公理」の定義を私が初めて見たときからだ。その定義を見て、私は何故か涙が止まらなくなった。それは自分でも訳がわからない体験だった。 高校生でも多分名前ぐらいは知っていると思うのだけど、ジュゼッペ・ペアノという人が1891年に「ペアノの公理」を定義して自然数全体を公理化した。数のなかで一番根源的な存在である「自然数」が公理化できるということそれ自体が数学の“健全性”(正統性)を示唆しているとそのとき私は思った。 涙がとまらなくなった理由は、いまにして思えば、きっと「ペアノの公理」が「自分はこの数学の世界に棲んでいていいのだ」という安心と安らぎを与えてくれたのだと思う。「ペアノの公理」こそが自分の存在を肯定してくれ、「自分なんて死ねばいいのに」と思っていた私を「自分なんて死ななくてもいいのに」と思わせてくれた。「ペアノの公理」が「自分がこの世界に生きていていい」ということを担保してくれているように私には思えたのだ。 誰かに理解してもらう必要なんてない。教師や友達に自分のことをわかってもらう必要はない。自分は自分が正しいと思う道を、自分が正しいと思うやりかたで突き進めばいい。数学の教師が一人もおらずいや人類さえもが地球上に誰ひとり存在しなくとも自然数は荘厳とそこに存在しているように、誰ひとりあなたのことを理解していなくとも、あなたはいつも正しく、そして、あなたはこの世に存在していて良いのだから。”
— そろそろ死にたくなってきた人に捧げる雑文 - やねうらお-よっちゃんイカを食べながら、息子語録を書き綴る (via inujita)
“一つ心配なことがある。最近の20代、しかも最良と思える人々と会うと「しなければならない」という言葉を頻繁に聞くようになったのだ。「人生は意義がなければならない」「良い仕事に就かなければならない」。「大企業に就職しなければならない」というのも就活の人に多いそうだ。日本社会に余裕がなくなっているのだろう。将来の不安に満ちる今、「何かに帰属した方がいい」という功利的な意識が強まり、それが同調圧力と合わさって、社会をさらに重苦しくさせているのだ。 理想を掲げ、人々が熱心に働く組織や会社、それを社員に訴える経営者がいてもいいと思う。しかし、それに同調しない人々がいてもいい、余裕のある社会、会社はできないだろうか。そして、もし苦しんでいる方がいれば言いたい。 「あなたは十分頑張っている。手を抜いていいのではないか」と。”
— 「頑張らなければいけない」空気に、人が組織で取り囲まれる怖さ-渡辺美樹氏、木村剛氏を観察した私の経験から : アゴラ - ライブドアブログ (via foreverbluebird)
“素晴らしいスピーチなのに日本語にはまだあまり訳されていないようなので、ここで簡単に紹介したいと思います。 MITを2005年に卒業してドロップボックス社を立ち上げて大成功したドリューは、充実した人生を生きるために必要なコツ(虎の巻)について、その日MITを卒業する学生たちを前にして、こう語りました。 「というわけで、僕は君たちにちょっとした虎の巻を伝授したいと思う。僕も自分の卒業式だとしたらそれが聞きたかったからね。僕の虎の巻には、実は多くのことは書かれてない。テニスボール、サークル、30,000という数字、それだけだ。これだけ聞いても何のことだかまださっぱりだとは思うけど、ちょっとだけ辛抱して聞いていてほしい。」 ――まずはじめにドリューは、一つ目の秘訣、「テニスボール」について、説明します。 「大好きなことを仕事にしろってスピーチしようかと思ってたんだけど、やっぱり本当はそうじゃないんだよね。『自分は好きなことをやってるんだ』って自分を説得してしまうのはすごくたやすい。だって、そう思いこまなきゃやってられないから。 でも考えてみると、僕の知ってる成功者たちのほとんどは、ただ単に大好き(love)なことを仕事にしてるだけじゃないんだ。彼らは、気になって仕方がない大切な問題を解決することに没頭している(obsessed)んだ。 そんな彼らを見てると、テニスボールを追いかける犬を思い出す。あのぎらついた眼、手綱を解かれて突っ走りだして、行く手を阻むものを許さず猪突猛進するあの姿。一方、僕の友達の中には、よく働いて立派な給料をもらってる奴もいるけど、そいつらは、デスクに縛り付けられて暮らしてるって不満たらたらなんだよね。 ただ問題なのは、誰もがすぐに自分の『テニスボール』を見つけられるかっていうと、そうではないってこと。僕も自分のテニスボールを見つけるまでにはけっこうな時間がかかったよ。」 ――ドリューは次に「サークル」の秘密も明かします。 「僕が大学を通じて学んだことの一つは、才能に恵まれていることや勤勉なことと同じくらい重要なことがあって、それは、自分の周りに刺激的な人間をたくさん持つってことなんだ。もしマイケルジョーダンがNBAに行かないで、適当なところをふらついていたとしたら、彼の栄光はきっとなかっただろう。君のサークル(仲間)は、いつも君を魅力的な人間に変え続けていくんだ。」 ――最後に、「30,000という数字」についても、彼は語ります。 「ある晩、なんだか眠れなくてパソコンをいじってたら、『人生は30000日しかない』って誰かが書いてるのをみつけて、ふーんと思って最初は気にも留めなかったんだ。でも、ふと思い直して電卓をたたいてみたら、僕はそのときすでにもう9,000日を消費してたんだ。その瞬間はさすがに焦ってこう思ったよ。僕って今までに何かを成し遂げたっけ?ってね。 ……おっと、君たちももう8,000日くらいは過ぎたとこだったね。 その晩、僕は気づいたんだ。人生にウォームアップなんてない、練習試合なんてない。リセットボタンだってありゃしない。僕らは毎日、人生という物語に少しずつ言葉を書き綴っていっているんだ。 それに死ぬ時には、『ドリュー・ヒューストン。174番の成績で亡くなりました。』なんて書かれやしない。だからその時から僕は、自分の人生を完璧主義で生きようと思うことをやめた。そのかわりに、自分の人生を面白くすることに決めたんだ。僕は自分の『物語』は、大冒険にしたかった。そしてその決意が、すべての始まりだったんだ。 今日、君たちの卒業式の日に伝えたいことは、このことに尽きる。完璧な人生なんか目指さなくていいから、大冒険の人生にしてみたらいい。 ――そうして、更なる高みに向かって、のぼり続けていってほしい。」 ……良いスピーチですね! 「30,000という数字」は自分が何もしなくても消費されていく一方、「テニスボール」と「サークル」は、自分から日々よく考えて行動していかないと手に入れられなさそうなところが、人生の面白さの源なのかもしれないなと、僕も考えさせられました。”
